流産だって出産なんだ。3

流産だって出産なんだ。3

うちに帰って来て昼ごはんを食べるまでは本当に流産したのか私も旦那さんも信じられなかった。結果は揺らがないと看護婦さんは言っていたけど、私はこの目で心臓が動いていないことを確認してはいないし、もっと超音波技師にも看護士さんにも食い下がれば良かった。泣いたりしないで、もう一回検査してくださいって言えばよかった。生きていても、そうじゃなくてもこの目で確認したかった。だって昨日はあんなに力強く心臓が動いていたんだし。

でもトイレに入ってしみじみお腹に手を置いた時。これまで何度も何度も同じように手を置いて話しかけてみた時とは違って、初めて赤ちゃんの方の気持ちもわかったというか…もしかしたら赤ちゃんは昨日出血した時点で既に生存できることが難しくて、苦しくて、お腹から出たいって思ってたんじゃないかと思うようになった。そんな赤ちゃんの最後の意思に反発して、昨日今日で私がお腹に引き止めちゃってたのかな。絶対出ちゃダメだってお母さんの執念が伝わって赤ちゃんは余計苦しかったのかもって思ったら、自然に抗わないでちゃんと出してあげることが私が最後に出来る母としての仕事なんだと考えられるようになって、大きく呼吸しながら力を抜いて「いいよ、出ておいで」と心の中で赤ちゃんに語りかけてトイレに座り直した。

だけどそんな簡単に赤ちゃんの残していったものは出て来るわけなくて、トイレを後にしてベットに横になった。私はそこから2日間ひどい腰痛と重い生理痛に耐えることになる。

腰痛に関してはもはやそれがぎっくり腰だったのかも定かじゃなくなるほど、お腹の痛みが増すにつれて痛んで力が入らなくなった。痛みのピーク時には這ってでしかトイレに行けないほど。腹痛の方は通常の生理の2倍、2,5倍と言ったところかな。耐えられないほどではないけど、ホッカイロの助けなしではゔーゔー唸ってたと思う。それでも自分が進行流産のどの辺りにいるのか把握していたかったから痛み止めを飲まなかった。流産も出産同様、母と子の共同作業に変わりがない気がして痛かろうが辛かろうがその瞬間をちゃんと体感したかった。

流産宣告当日は出血はそこそこあるものの、胎嚢やその他の組織部分を目視では確認できず、お腹と腰の痛みも重なって不安な気持ちで眠りについた。

2日目。
その日も日中はずーっとお腹、腰の痛みに身体を丸くしてベットで過ごした。昼前に昨日の看護士さんから電話連絡があってその後の体調について聞かれ、自然排出を選んだ旨伝えると不安だったら薬も服用してほしいと念を押された(ように聞こえた)。私の方も内容物がお腹の中に残って結局手術になるというネットの情報に驚かされて飲むか飲まないかはともかく旦那さんに薬をゲットしてきてもらう。

午後になってなかなか引かない痛みと出血の内容に少し焦り始める。看護婦さんやネットの情報だと出血には繊維質のものや塊が混ざって出てくるということだったし、前回の流産でもそれらしいものを確認できたので今回はもっとしっかりしたものが出てくるはず。腰の方もこの立つこともままならない状況がこの先ずっと続いたらと考えるとこわい。

そんな不安な状態のまま日が暮れ、夕飯を食べ終わった頃に赤ちゃんは出てきた。

ちょうどトイレのタイミングで何かが降りてくる感覚がして、大きな塊が2,3回に渡って出てきたのを感じた。その中にあった赤ちゃんの拳くらいの血塊を見たときに、これがきっと胎嚢だと確信した。旦那さんにも報告したあと、綺麗に洗ってふわふわのおニューのタオルで大切に包んだ。ちょうど神社から受けたものだった。それでも寂しくないかなとか、寒くないかなと心配で、赤ちゃんのためにもっと何かしてあげたい。結局結婚式に神社でもらったつがいのお守りがある事を思い出して、対になっている片方を一緒に包んであげた。赤ちゃんが戻ってくるときの目印になるように。これで赤ちゃんが迷うことはなく帰ってこられると思うと自分の気持ちにまた一区切り整理がついたような気がして、しばらくの間またお別れだねと取り乱さず赤ちゃんを送り出すことができた。血が嫌いな旦那さんも勇気を持ってその瞬間に立ち会ってくれて嬉しかった。

2日間私を苦しめた腹痛は赤ちゃんが出てきた瞬間にパアっと消えてなんと例えて良いかわからないけれどなんだかスッキリした。これが身体の不思議というやつか。腰の方も立って普通に歩けるようになって旦那さんを驚かせたけれど、一番驚いているのは実は私だったと思う。

流産って悲しくて、苦しいけれど、赤ちゃんがお腹から出てくるその過程は(レベルは違っても)普通の分娩と同じく痛みが伴っていて、それに赤ちゃんと一緒に耐えた自分が誇らしくなったし、出てきた赤ちゃんも1ヶ月とはいえど、そこそこ立派なサイズで、お腹の中でここまで育ってくれたんだなあとポジティブな感動みたいなものがあった。


流産だって立派なお産なんだ。流産したけど、私はちゃんとお母さんだったんだ。

そうだ。それから赤ちゃんの細胞は検査してもらえるので流産したらすぐに先生に連絡すること。先生というのは不妊治療の先生のことです。私の場合、細胞検査のことはネットで調べて知っていたので、赤ちゃんにお別れをする前にfamily doctor と流産宣告を受けた看護師さんに赤ちゃんの細胞を検査をしたい旨を伝えたところ(不妊の先生は忙しくて直ぐに診察の予約が取れなかった)、そんな検査聞いたことないみたいな回答が返ってきて、カナダでは有名じゃないのかなと思ったら後に不妊治療の先生から細胞検査できるので次の妊娠がわかったら万が一の時のために細胞を入れる容器を受け取るようにと言われて心の中で流産のことよく知らない医者みんなバカ野郎って心の中で叫びました。

最後に流産に関するサポートって全然整ってないなあと感じた。
病院もemotional support の専門家じゃないからそれぞれの作業をサクサクこなすだけなのが残念だったし、社会でも流産経験した女性を支える組織みたいなのもほとんど皆無に近い。流産って15~20%の確率で起こるものだからそんなに珍しいことじゃないよ、元気出して!なんていう全く意味不明な励ましを受けたりもするけれど、それならなんで流産がこんなにも妊娠から切り離されて一人ぼっちな状態になっているのか。そんな中で支えになったのはネットで似たような体験をした人の体験談だったり、youtubeだった。辛い経験をシェアしてくれた彼女が何より支えになったし本当にありがたかった。なので私もこれから自分がした経験は誰かのためになると思って内に隠さずこういう場面では躊躇せずに公開していきたいと思う。

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